イタリアの作曲家。四肢麻痺というハンデを持ちながら、2004年12月、音楽活動への特別な貢献が認められ、「プレミオ・イマジネ・ラティーナ」を受賞した。
1959年12月、プロッセーディ生まれ。幼少期から絵画に才能を発揮し、演劇やバレエにも強い興味を抱く。12歳でテノール・サックスを始めた。当初は絵画を志し美術専門学校へ進もうとしたが父の猛反対で断念。その後、友達と出かけたコンサートでクラリネットとサックスの演奏に圧倒されたことをきっかけに、フロズィノーネの国立音楽院(サックス専攻)に入学。ここで運命的な出会いがあった。音楽の道へ進むきっかけになった、以前のコンサートのサックス演奏家、バルド・マエストリ氏に再会。彼の弟子になり、その後ロベルトは、サックス奏者として頭角を現す。音楽院ではジェラルド・ヤコウッチ氏の「ジャズにおける作曲と編曲」のクラスにも入り、ロベルトの演奏を高く評価したヤコウッチ氏がビッグ・バンドのメンバーに加え、ローマの高名なホールでの演奏のほか、テレビにも多数した。
しかし、不運は突然訪れた。演奏家としてさらなる飛躍が期待されていた1980年、20歳の夏、泳ごうとして飛び込んだ川で、深さが十分になく、脊髄損傷という重傷を負い、四肢麻痺に陥った。当時は命も危うかったが、度重なる手術などで危機を脱した。四肢麻痺は残ったものの、音楽への熱い思いに支えられ、サックスに代えて、腕に補助器具を取り付け、ビブラフォン奏者としてビッグ・バンドに奇跡の復活を果たした。
作曲に本格的に取り組んだのは、25歳の時。イタリアで著名な作曲家、ダニエーレ・パリス氏に師事し、その後、同様に高名なカルロ・サヴィーナ氏の助言を仰ぎながら独学を続けた。麻痺した腕にペンを固定する補助器具を取り付け、肩の筋肉の動きだけでペンを走らせ、楽譜を書いた。作曲を始めた翌年、ミラノで開かれた作曲家のための国内コンクールで第2位に入り、RΑIシンフォニー・オーケストラやアカデミア・ディ・サンタ・チェチリアの演奏家たち、コローニア歌劇場のソプラノ歌手ウルリケ・シモン、サックス奏者クロード・ドゥラングルらの為の作品を作曲。
1990年には、オーケストラ・カメラータ・バロッカ(指揮マッシモ・ファウスティーニ)がコンサート全曲をロベルトの作品で演奏し、大きな反響を呼んだ。作曲にピアノを使わないロベルトが初めて自らの作品を「音」として聞いた瞬間でもあった。
1995年にヴァイオリンとピアノのための作品集「5 PEZZI FACILI」を、翌年にはファゴット・ソロのための「CLOWN」を、共にミラノのCURCI社より出版。2000年には彼のオリジナルCD「PIZZICATO BLUES」(ピッツィカート・ブルース)が欧州で最も偉大なジャズ奏者で、ミラノ国立音楽院教授、ジョルジョ・ガスリーニに絶賛された。ロベルトの作品はイタリアだけでなく、米・ロサンゼルス(2003年6月)やドイツ、キューバ(20008/9年)、仏・パリ(2011年)、日本(2014年)でも演奏され、今や活動の場を国際舞台に移しつつある。
イタリアに在住し活躍する日本人ソプラノ歌手Maki Maria Matsuoka(松岡真季)のために作曲し、ローマ・オペラ座の弦楽クインテットと共にレコーディングした4曲を含む、ロベルトのCD「Classical Contemporary Emotions」が2013年、デネブ・レコードから出版。2014年には、ヴァルヴィショーロ修道院から依頼を受け、オラトリオ「VIA CRUCIS」を作曲、初演。現在、同オラトリオのCD製作に当たっている。